オリバー・ツイスト


 セットや衣装によって再現されたヴィクトリア朝ロンドンの猥雑な雰囲気は十分楽しめる。表通りから狭い路地裏に入るにつれ、汚れて荒れた感じになっていく。
 ただ、映画自体は淡々と進んでいく感じで、躍動感を感じるような見せ場が少ないように感じるのは、主人公オリバー(バーニー・クラーク)のやや受動的なキャラクターのためだろうか。彼はトム・ソーヤのように自分から行動するというより、やむなく悪の世界に巻き込まれていく少年である。不幸に耐え、悪の中に身をおきながらも純粋さを失わないところが彼の長所なのだが、これを映像で表現するのは案外難しいかもしれない。ドジャー(ハリー・イーデン)のようなすりの少年たちのほうが画面上では躍動している。
 オリバーが犯罪組織の一員になってしまうまでのプロセスには救貧院など多くの人間がかかわっている。彼らの多くは残忍な犯罪者ではないが、彼ら一人一人の小さな不親切、小さな無慈悲、小さな悪徳の連鎖が、結果的に一人の少年をロンドンの道端で餓死寸前の状態に追いやってしまう。特に風刺的に描かれているのはもちろん救貧院や警察、裁判所などの権力にかかわる人たちの無責任である。オリバーに残された場所はもはや路地裏の悪の世界しかない。
 悪の世界にいる人々の描写の多様さは原作の大きな魅力だが、映画でも個性的な役者たちが演じている。ナンシー(リアン・ロウ)のように良心を残している者から最後の一線を越え殺人を犯してしまうサイクス(ジェイミー・フォアマン)まで、現実的で人間的な犯罪者たちが登場する。その中で最も印象に残るのはやはりフェイギン(ベン・キングズレー)だろう。オリバーの傷の手当をしてやりながらもオリバーが殺されるのを止めてやろうとは思わない、自分の手で人を殺すことはできないが自分を守るために他人を密告して死に追いやることはできる、この奇妙な男は殺人犯よりも強い印象を残す。彼のずるさ、弱さは誰もがもっているものであり、だから彼の死刑前夜の錯乱した様子には心を動かされる。公開処刑という制度に反対していたディケンズの描写と同じように、この場面で絞首台は黒々としていて、これもまた一つの悪であるように見える。