フライトプラン


 題名の「プラン」はある犯罪計画を指しているのだが、ここに本格的なミステリーのようなリアリティを求める人はがっかりするかもしれない。これは母親(ジョディ・フォスター)が娘(マーリーン・ローストン)を探し出すという物語のための設定にすぎないので、この映画の見所は謎解きや犯罪そのものにあるわけではない。
 飛行中の飛行機内は密室だが、この密室という設定はミステリーの面白さをもたらすためにあるわけではない。二階建ての巨大ジェット機内は一つの社会であり、機内で起こる出来事に対する乗客たちの反応は、欧米人一般の反応と同じである。たとえば、主人公の証言のせいで、最初にアラブ人が疑われる。他の乗客たちはありそうなことだとすぐに納得し始める(ちなみにこのエピソードは最後の和解の場面を見た後でも後味が悪かったが・・・)。うるさい子供たちは他の大多数の乗客や乗務員にとって休息を妨げるわずらわしい存在であり、親以外に子供を保護者的な眼差しでみつめるものなどこの小さな「社会」の中には存在しない。あとで犯人が言うように、誰もジュリアのことなど気にしていない。もちろん、飛行機内で主人公の娘を見たものが誰もいないという設定に、リアリティのなさを指摘することはできるのだが、「社会」のなかでこのようなことがよく起こっていることを私たちは新聞などで知っている。
 主人公である母親のヒステリックな反応に戸惑う人がいるかもしれない。ただ、母一人子一人の家庭では、子供が親に依存しているだけではなく親も子供に依存している。子供がいなくなることは自分が独りぼっちになることを意味しており、最初に空港で娘の姿を見失ったときの母親の狼狽振りから、娘が彼女にとって唯一の心の支えであることがわかる。アラブ人がテロリストのレッテルを貼られたように、女性は精神異常のレッテルを貼られる。いったんそうなれば、彼女に味方するものはこの雲の上の社会の中にはいない。全くジャンルの違う映画だがダークウォーターでも孤立無援の母子家庭が登場していたことを思い出す。二つの作品に共通する、母子家庭の周りの無関心や無責任の描写は現実を反映しているのだろうか。