キング・コング

キング・コング 通常版 [DVD]
  分かり合うことがほとんど不可能と思える二つの文明が接触する。ニューヨークから骸骨島に撮影に来たアメリカ人の撮影隊は、原住民と遭遇したとき、動物を手なずけるような態度で接しようとする。一方、原住民たちは彼らの中で一番美しい女優(ナオミ・ワッツ)を儀式の生贄とみなしている。相互理解という甘い期待の入り込む余地がない、弓と銃による殺し合いに発展するこの遭遇場面が異様に生々しい。
 生贄は原住民にとって自然と折り合いをつけるための手段である。なぜなら骸骨島の原始の自然は彼らが征服できるようなものではないからだ。島の中に入り込んだアメリカ人たちは銃で対抗しようとするが、次々と命を落としていく。巨大な恐竜から体にまとわりつく毒虫まで、島の原始の自然が人間たちを追い込んでいく描写がすばらしい。荒々しい原始の自然を最もよく体現しているのが、キングコングである。最初に登場する場面でのキングコングは獰猛な獣であり、その迫力には圧倒される。
 原住民たちと違って、近代文明からやって来たアメリカ人たちにとって原始の自然は恐怖の対象であっても畏怖の対象ではない。彼らはキングコングを捕獲し、見世物にすることを思いつく。これも自然の征服とみなすことができるだろう。自然に対して防御的な原住民と攻撃的なアメリカ人、どちらの方法にせよ、獣と人間の世界の間に和解などありえない。彼らは弓矢や銃を手放すことはできない。
 しかし、銃も弓矢も持たない元喜劇女優が、奇跡を起こす。人体を八つ裂きにするような気配を見せるキングコングの前で、彼女は踊る。彼女との交流でキングコングの表情は変化していく。獰猛な獣の中から知性と感情が徐々に現れてくる過程を、この映画は見事に演出している。ただ、この感情の芽生えを知っているのは彼女だけであり、それは結局銃の力によって摘み取られてしまうだろう。
 この物語は、一人の女性を二人の「男性」が愛する話でもある。繊細な細面の劇作家(エイドリアン・ブロディ)と、獰猛な野獣。劇作家との恋愛はそれほど丁寧に描かれているわけではないが、キングコングの悲劇性を強調する役割は十分果たしている。彼女は人間であり、劇作家が助けに来れば、一緒に野獣の元から逃げ出すことになる。一方、野獣は傷だらけになって彼女を他の獣から守り抜き、彼女を追ったために捕獲され、彼女と見た夕日の記憶に導かれて朝日の見えるビルに登ってしまい、やがて悲劇を迎える。だからこそ、最後の瞬間はアクション映画というよりも恋愛映画のような美しいスローモーションで演出されている。