エリザベスタウン

 エリザベスタウン [DVD]
 主人公ドリューがシューズの開発プロジェクトに大失敗したとき、多くの人間が勤める多国籍企業の中で彼がその責任を一人で負うことになる。周りの人間はただ最後の視線、つまりあいつは終わりだ、もう会うこともないだろうという憐れみと軽蔑の入り混じった視線を彼に投げかけるだけで、救いの手を差し伸べるものは誰もいない。この徹底的に個人主義的なビジネス社会の中で、精神的に追い込まれた彼は部屋で孤独に自殺を試みる(ただ、自殺にさえ失敗しそうなのだが・・・)。父の死の報せは彼を死から生の側に引き戻すことになる。
 葬儀のため向かったケンタッキー州エリザベスタウンでは、人間関係がビジネス社会のそれとは異なっている。一人の男性の一生がこれだけ多くの人間と関係しているということを、家に集まった大勢の陽気な客たちはドリューに教えてくれる。滞在中のホテルでは結婚式の準備の最中で、エリザベスタウンは陽気な人々の賑やかな声が絶えない。葬儀ですら、この街の陽気な出席者たちは楽しいイベントに変えてしまう。演奏あり、タップダンスあり、ハプニングありのこの葬式が本当に楽しい。田舎の人間関係のいやらしさはあまり強調されず、主人公にとっての癒しの場として描かれている。
 主人公を死から生のほうに誘う最も重要な役割を果たしているのが、旅の途中で知り合った客室乗務員のクレアである。相手に警戒心を感じさせず、簡単に相手の懐に入ってしまうこの気ままで陽気な女性を魅力的に演じられるのはキルスティン・ダンスト以外考えられない。ドリューが携帯電話で彼女と話しているうちに彼女に引き寄せられていく場面の、彼女の親しみやすい自然体の姿が魅力的で、この長電話の場面を説得力のあるものにしている。あと、朝、眠っている主人公の部屋から去る場面とか、ドリューの隣でうれしそうにしているところなど、ガールフレンド的なしぐさをするのが本当によく似合う人だと思う。彼女の存在は現実(あまりにも親しみやすいのでかえって誰かの穴埋め役にされてしまう)とファンタジー(すべてを見通しているかのように地図で主人公の旅をサポートする)の中間に常に位置していて、見かけ以上に難しい役である。
 オーランド・ブルームは、キルスティン・ダンストや母親役のスーザン・サランドンとの絡みを見ると、やや気ままだがしっかりした女性に受動的に接するような役がよく似合う。コミカルな場面に関しては、自分から面白いことをするというよりも、田舎のアクの強い人々に戸惑っているような表情が面白い。話の中では長男という設定だが弟的なイメージのほうが強い人かもしれない。
 音楽である程度雰囲気はつかめるものの、アメリカ人にとって南部の文化と大地がどういう意味を持つのかということを、私たちが肌で感じるのは難しい。主人公が最後に巡るそれぞれの土地の空気を感じられたらもっと楽しめる映画なのかもしれない。父親の遺灰がまかれるあの大地は、多くのアメリカ人にとってルーツなのだろうか。