ALWAYS 三丁目の夕日

ALWAYS 三丁目の夕日 通常版 [DVD]
 大量生産、大量消費の時代に入る直前、昭和33年の世界を舞台にしたこの映画では、物と人の関係が私たちの時代とは異なる。冒頭、少年三人がプロペラ紙飛行機を飛ばす場面(ワンカットで撮られていて、作品のテーマを示すと同時に、路地と大通りの距離感を感じ取ることもできる)で、少年三人に対して飛行機は一つである。だからこそ、相談しながら飛行機を飛ばすことは少年三人の共同イベントになる。ポケットに小銭しか持っていない路地裏の子供たちは色んな物と経験を共有して生きており、最初孤立していた淳之介少年も、彼の小説が書かれた一冊のノートを少年たちが回し読みすることで友人関係を作り上げていく。路地裏の大人たちも同じであることは、鈴木家にテレビが来るエピソードから分かる。一つのテレビの周りに路地裏中の住人が集まり、初めてのテレビ体験を共有する。家の内と外は現代ほど明確に仕切られておらず、比較的自由に人が出入りする。ある程度互いの私生活を知っており、時には遠慮のない激しい言葉が行き交うこともあるが、それで関係が途絶えてしまうことはない。
 住人たちのドラマには、いつも小さな「物」があり、人々をつなぐ役割を果たしている。鈴木家の古いミゼット、茶川商店のスカくじ、茶川の小説が連載された漫画雑誌、鈴木家の大騒ぎを引き起こす六子(堀北真希)の手書きの履歴書、宅間先生(三浦友和)の焼き鳥、つぎを当てた服、万年筆、指輪の箱・・・。どれも高価なものではないのだが、それに関わる人々にとって特別な意味を持っている。そして三丁目の住人たちそれぞれの小さなドラマが、背景に見える建設中の東京タワーのイメージを通して一つに結び付けられている。もちろんそれは住人たちが夢見る未来の象徴である。
 昭和33年の彼らが想像する未来(淳之介の描く陰りのない未来像)と、現実の私たちの生活とのずれというものを、感じずにはいられない。新しい家電製品が次々と鈴木家に導入されていく様子には、現在の消費社会がこの時期に始まったことを示している。電気冷蔵庫がやってきて鈴木家の生活は快適になり、彼らは未来が今よりももっといいものになると信じて疑わない。しかし氷を入れて使う貯蔵庫が捨てられ、氷屋が仕事を失う様子には、現在の私たちの生活を暗示させるものがある。一方、私たちが昭和30年代を振り返るとき、それは夕日の色に染まっている。つまりそれは懐かしいけれどもう終わってしまった、戻らないものである。母親が子供の服につぎを当てるエピソードなどは、すでに私たちが失った価値観を彼らがまだ持っていることを示している。
 笑いと涙のバランスがとれていて、茶川(吉岡秀隆)と鈴木(堤真一)、ヒロミ(小雪)と鈴木の妻トモエ(薬師丸ひろ子)、淳之介(須賀健太)と一平(小清水一揮)のコントラストを中心としたキャスティングと、昭和の人間になりきった俳優たちの演技もすばらしい。空間的にも、向かい合ったこの二つの家が中心になっている。