メゾン・ド・ヒミコ

メゾン・ド・ヒミコ 特別版 (初回限定生産) [DVD]
 主人公沙織(柴咲コウ)は二つの場所を往復する。一つは彼女が勤めている塗装会社の事務所で、専務の細川(西島秀俊)が中心にいる。彼は事務員の一人と不倫関係にあるが、新しい事務員が入ればすぐに乗り換える。事務員採用時に細川が履歴書の顔写真しか見ようとしないことから分かるように、彼女たちは男性視点から選ばれ、消費される存在でしかない。借金のある沙織は女性の肉体にさらに高い値段を払ってくれる風俗関係の仕事につくことを考えている。もう一つはゲイの老人ホームメゾン・ド・ヒミコで、沙織の父親ヒミコ(田中泯)が中心にいる。沙織は父の愛人春彦(オダギリ・ジョー)に誘われてそこで週末にアルバイトを始める。
 二つの場所に対応して、沙織には二つのキスシーンがある。専務の細川とのキスシーンはそのあとのセックスの前段階にすぎない。上に覆いかぶさった専務は彼女に声をだすこと、つまり「男性の攻めに感じている女性」を演じることを求める。もちろんそこに彼女の求めているものは存在しない。一方、ゲイの春彦との長いキスシーンは、どちらか一方が他方に無理強いすることのない、美しい場面だが、そこから春彦が上になり普通の男女のセックスに移行しようとしたとたん、そこから前に進まなくなってしまう。彼女の居場所はどちらなのか、彼女自身混乱しているように見える。
 メゾン・ド・ヒミコはゲイにとってだけではなく沙織にとってもある種の避難所である。女性は女性用の服を何でも着ることができてうらやましいというゲイの山崎(青山吉良)に、彼女は女性が何でも着たい服を着られるわけではないと言い、水商売の面接を受けたときのことを語る。この老人ホームで初めて、彼女はバニーガールやスチュワーデスなど、自分の着たい服を、男性の視線も同僚の女性の視線も気にすることなく、着て楽しむことができる。
 居心地のいいこの空間には、しかし外部がある。外部からの援助はヒミコと肉体関係のあったパトロンによって支えられており、ヒミコが死につつある今、援助は途絶えつつある。外部がゲイにとって残酷な空間であることは、壁に書かれた差別的な落書きやダンスホールで女装した山崎が元同僚に罵倒される場面から分かる。しかし、この空間はヒミコ自身の犠牲やヒミコの捨てた家族、つまり沙織の犠牲によって成立している。看護の必要なルビー(歌澤寅右衛門)を家族に預けるとき、何も知らない家族は残酷な差別と向き合うことを余儀なくされるだろう。沙織が彼らに向かって、「こんな場所嘘ジャン」というとき、彼女はこの癒しの空間を成立させるために必要な外部の犠牲者のことを言っている。もちろんそれは単に彼らを批判しているのではなく、自分自身にも向けられている、なぜなら彼女自身にとってここが癒しの空間になりつつあったから。彼女は外部の犠牲者と内部の避難者の両方の立場に立つことができる唯一の人間であり、だからこそやはりこの場所に必要な人間なのだ。だからヒミコも最後に「好きよ」の一言で彼女の存在を受け入れ、居住者たちも彼女を歓迎するようになるのではないだろうか。