亡国のイージス

亡国のイージス [DVD]
 映画の序盤、若い乗組員たちが地上で乱闘事件を起こしたとき、先任伍長仙石(真田広之)は警官に土下座することでその場を収める。彼の行動は部下を救う勇気の表れなのか、卑屈な弱さの表れなのか。部下の一人如月(勝地涼)の眼には、最初それは弱さにしか見えない。しかし甲板で絵を描いている仙石の背中に、彼は人間としての大きさを感じる。戦場と化したイージス艦いそかぜで、登場人物たちの行動が弱さの表れなのか、人間性の発露なのか、この映画は観客に問い続ける。
 この映画は思想を長台詞で説明する映画ではなく、様々な兵器が主役の映画でもない。阪本順治監督はイデオロギー、世界情勢、登場人物たちの背景などの説明を最小限にとどめ、銃を持って向き合った男たちの一瞬の決断に絞り込んでいる。先に撃つべきか、思いとどまるべきか、思いとどまることは弱さなのか、人間性の証明なのか。イージス艦内から国家安全保障会議にいたるまで、すべては火器が火を噴く瞬間までのサスペンスに凝縮されている。そこに決まった答えはない。決まった答えはないということは、専守防衛の原理も先制攻撃の原理も教科書にはなりえず、人はその一瞬に自分のすべてをかけて決断するしかないことを意味している。
 先に撃つことをためらい工作員ヨンファ(中井貴一)に撃ち殺されていく日本の自衛官たちは弱者として切り捨てられているわけではない。彼らは専守防衛イデオロギーに従っているというよりも、人間性を残しているからこそ迷う。その迷いは主人公仙石のセリフによって肯定されている。家族の写真を焼き自分の人間性を弱さとして切り捨て鉄の意思で作戦を実行するヨンファは、しかしながら妹ジョンヒ(チェ・ミンソ)やドンチョル(安藤政信)と恐怖やイデオロギーとは別の絆、彼個人への尊敬で結ばれている。如月は撃つのを思いとどまるべき場面で発砲してしまい、先に撃つべき場面で迷い撃たれてしまう。しかしその一瞬の躊躇をこの映画は弱さとして切り捨てずに肯定している。
 批判的に描かれているのは国家安全保障会議のほうだろう。政治家たちは決断する場に身を置くこと自体を望んでいない。そしていったんそういう場に身を置かざるをえなくなると、性急に決断を下そうとする。それはヨンファのような鉄の意志からではなく、プレッシャーと恐怖から早く逃れたがっているように見える。
 登場人物たちの背景をあまり描いていないにも関わらず、キャラに奥行きが感じられるのは主演俳優たち(真田広之中井貴一佐藤浩市寺尾聰)の存在感のおかげだろう。特に日本人にとって挑発的なセリフを連発する工作員役の中井貴一はすばらしい。テレビ芸能人をゲスト的に使いたがる最近の邦画と違い、端役にいたるまで緊張感を感じさせる顔をそろえているのもいい。