フライ、ダディ、フライ

 風を切って走り空へと舞い上がるというテーマは作品全体に見られる。映画の冒頭で、打ち上げ花火が上がっている空から地面を這うように進む電車を見つめる視点から映画は始まる。電車には主人公の鈴木が乗っているが、仕事に疲れた彼には空を見上げる余裕もない。彼を空のほうへと導くのが朴舜臣の役割となる。実際に空を飛ぶのではなく、肉体から余計なものをそぎ落とし重力から逃れようとすることが、この映画における「飛ぶ」ことの意味だ。それは同時に精神的に打ちのめされたものが立ち上がり尊厳を回復することも意味している。
だから朴舜臣には心に傷を持ったリアルな人間の心理描写と、鳥のような身軽さを感じさせる肉体が必要なのだが、人間と天使の領域を往復するようなこの役を岡田准一が見事に演じている。岡田自身が振付けた鷹の舞は的確にテーマを表すものになっていて、彼が天使的存在であることを示している。その一方、殺気と孤独感を漂わせる前半から鈴木との絆が深まっていく後半への変化もしっかり表現している。ギクシャクした動きで肉体の重さを感じさせる前半から敏捷さとたくましさを兼ね備えた肉体へと徐々に変貌していくプロセスを熱演する堤真一もすばらしい。冒頭で平凡な人間の恐れや混乱を生々しく演じることで、後半の変貌がよりドラマティックなものになったと思う。そして二人が互いに肉体をぶつけ合いながら理解を深めていくプロセスを、成島出監督は、あまりカット割をしないで二人を一つの画面でできるだけ長く捉えることで緊迫感のあるものにしている。
 二人が登場するシーンで印象深いのは樹上で語り合う場面だ。ここではそれまで謎めいていて孤独な存在だった朴が心と体の傷を鈴木にさらすことで一人の少年に戻り、二人の関係が師弟関係から父子関係を伴ったものに変化する瞬間がほとんどノーカットで捉えられている。クールに見えた朴が少年のナイーブさを取り戻し、相手に遠慮していた鈴木が包容力のある父親の表情を取り戻す。人間関係を一つの画面で捉えるという撮り方は鈴木とその妻(愛華みれ)が登場する場面でも使われている。事件のせいで互いの信頼関係に亀裂が入っているとき、妻は昔の思い出を語りながら夫に背中を向けて娘の服をたたんでいる。しかし決戦の日の早朝、美しい朝の光が部屋に徐々に差し込んでくる中、妻は後ろから夫にそっと抱きつき、相手への信頼を取り戻したことをそのしぐさで伝える。
 暴力を受けたショックから病室に閉じこもった娘(星井七瀬)の部屋の窓を、鈴木を応援する高校生たちが叩く。娘が窓を開けると、風が吹き込んでくる。その風は娘を空のある外の世界へと誘っている。もちろんその役目を最後に果たすのは風にのって疾走する父親になるだろう。舜臣が屋上で舞っているときもその空間には風が吹き渡っていて、海辺で舞うときには空を見つめている。最後の決闘の場面では強風で砂塵が舞っていて、戦いの最中、鈴木は空を見上げ、これが復讐の戦いではないことを悟る。何かに束縛されて身動きできないと思い込んでいるとき、ふと空を見上げて、駆け出してみること。朴舜臣が鈴木にそうしたように、この映画も観客を空のほうへ、風のほうへと誘っている。