バットマン・ビギンズ

 バットマンが普通の正義のヒーローものと違うのは、正義と悪が明暗としてくっきり分かれているわけではなく、主人公もまた闇の住人であることだ。だから悪役たち(bad)と主人公(bat)との差異は常に紙一重である。
 悪役たちが町を牛耳る手段として用いるのは恐怖である。最初に登場する悪役は暴力によって町を支配しているが、彼は後に恐怖で発狂してしまう。精神科医は毒ガスによって患者に恐怖を与えるが、彼も自らのガスを吸い込んでしまう。一方、バットマンにとってこうもりは少年時代に感じた恐怖の象徴であり、自らそのマークを身に着けることは恐怖の克服を意味している。そして同時に、こうもりを犯罪者にとっての恐怖の象徴とするため、トリッキーなやり方で敵を倒し、こうもりのマークを街の夜空に掲げ続ける。悪を防ぐために、悪から恐れられる存在になるということには、矛盾があるのだが、彼のやり方が悪役たちと異なるのは、彼が暴力をある程度制限して敵を処刑しないことだ。復讐心を克服し悪と同化しないこと、これがブルース・ウェインクリスチャン・ベール)が放浪生活のなかで得た教訓なのだが、クリストファー・ノーラン監督はそこに至るまでの彼の変化と成長の過程を、かなり時間をかけて描写している。
 その差異がはっきりと現れるのは、映画の終盤に敵と対決する場面だ。敵は正義のために腐敗した街を破壊し浄化すると宣言する。もちろんここまですれば正義の行為は犯罪行為とほとんど違いがなくなってくる。一方バットマンは処刑を拒否し破壊から街を守ろうとする。ただ、彼の行為も常に正義だと断定できるものではなく、車で街を暴走したときには執事アルフレッド(マイケル・ケイン)から叱責されている。ブルースが放浪生活中に感じていたように、正義と悪の境界線は明確ではなく、自問自答が繰り返されることになる。
 主人公の心理描写と、それに合った暗い雰囲気を全編にわたって維持することにこの作品は成功している。主人公と渋い脇役たち(マイケル・ケインモーガン・フリーマンゲイリー・オールドマン)とのやり取りも楽しい。ただ、位置関係のつかみにくい格闘場面や長すぎるカーチェイス、ややサスペンスに欠ける列車の暴走などのアクションシーンはちょっと残念な出来。