炎のメモリアル

 一人の消防士の半生を短いエピソードを連ねて見せる構成は伝記映画などにもよくあるもので、どうしてもダイジェストを見ているような気分になりがちである。平和な日常生活と命を落とすかもしれない恐ろしい火災現場が交互に映し出される構成は、映画としては単調かもしれない。しかし消防士の生活は実際この二つの領域の往復によって成り立っているのだ。これは、平和な日常から離れた戦場にいる兵士とはまた別の恐ろしさがある。自分の子供と遊ぶ約束をして、その後現場で危うく命をおとすような体験をして、また家庭に戻って普通の生活を送る。戦場にいれば危険な状態が自分にとっての日常になっていくかもしれないが、ここでは現場に行く度に一般人の感覚を捨てて炎に飛び込まなくてはならない。家に戻れば妻や子供の心配する顔を見ることになる。大火災が頻繁に起こるわけではないにしても、ついさっきまで普通の人たちと同じように家族や友人とくつろいでしゃべっていた人間が、今はいつ崩壊してもおかしくない建物に自ら飛び込んでいくというのは、精神的にも過酷な体験だ。
 この映画では、消防士たちにアクション映画のヒーローのような危機回避能力が与えられているわけではなく、重傷を負い、命を落とすような事故は前触れもなくあっさりと起こってしまう。同じような題材を扱った他の映画に比べてドラマ性やスリルには欠けるかもしれないが、この予測不可能性、偶然性はリアルである。どんなに経験を積んでも、建物がいつ崩壊するか、いつ爆発するかを完全に予測することはできない。彼らは自分の命をある程度運にまかせねばならないような場所に自ら飛び込んでいく。
 各エピソードが短いので人物描写に複雑なところはなく、ホアキン・フェニックスジョン・トラボルタのような芸達者な俳優も今回は素直ないい人を演じている。最後に苦しい決断を下すジョン・トラボルタの、苦渋の表情が強く印象に残っている。