デーモンラヴァー

 女性が罠にかかって倒錯的な世界に堕ちていくという物語ならいくらでもあるが、この映画はそれとは少し違う。主人公の女性(コニー・ニールセン)が堕ちていくのは倒錯的なサイトにアクセスしているパソコンの小さな画面の中なのだ。パソコン画面を見つめているものにとって、彼女はテレビゲームやパソコンゲームのキャラクターのような仮想現実内の存在とほとんど変わらない。テレビゲームを操作するのと同じような感覚で、サイト閲覧者はネットを通して拷問方法をリクエストする。
 映画の前半、ネット、ゲーム、アニメなどのメディアが提供する性的イメージが氾濫する場所として、オリヴィエ・アサイヤス監督は日本を舞台に選んでいる。アニメーションの技術は2次元のセル画からより立体的なものに進化しているのだが、それは現実の女性を模倣するというよりも、男性の欲望のみを反映してボディラインを極端に強調した異様な姿に変形している。日本のアニメ会社との契約の仕事のためそのようなイメージに取り囲まれ、ホテルのテレビでも簡単にアダルトビデオを映し出すことができるような環境の中で、主人公の意識に混乱が生じていく。そして監督はソニック・ユースの音楽を使いながらこの混乱を観客に直接肉体的に感じさせようとしている。
 この混乱は、主人公が産業スパイであることによってさらに加速していく。目の前にいるのが敵なのか見方なのか、自分が盗み見ているのか盗み見られているのか、相手の行動が好意なのか罠なのか、今起きたことが現実なのか夢なのかさえ分からなくなっていく。主人公の周りでクロエ・セヴィニーやシャルル・ベルリングが不吉な存在感を漂わせている。
 舞台がフランスに戻ってからは、過激なアダルトサイトが罠として彼女を待ち受けている。倒錯的な世界は今までからフランスに存在していたものだが、インターネットが関わることで新しい側面が生じる。人里はなれた場所で行われる秘密の行為が、ネットを通して多くの人間に閲覧される。相手の肉体に触れることなく孤独に画面を見つめている閲覧者たちによって、アダルトサイトはビッグビジネスになる。いびつに肉体性を強調していたアニメーションのキャラクターとは対照的に、罠に堕ちていく彼女は肉体性を失っていくように見える。シャルル・ベリングとの間には快楽的なセックスが成立するように見えるが、結局人形を相手にしているかのような性行為にしかならないのだ。最後にパソコン画面を見つめているのがまだ肉体の成熟していない少年であることは象徴的なことのように思える。