交渉人 真下正義

 列車がいつぶつかるか、爆弾がいつ爆発するかというサスペンスとパニックは、映画に適した題材であり、今まで色んな映画で取り上げられてきた。ただ、この映画がこのジャンルに新しく加えたものはあまりなく、過去のアニメや映画の引用からできている映画という印象を持った。コンサート会場でのシンバルは、ヒッチコックの「知りすぎていた男」のあからさまな引用だが、ここまであからさまだとヒッチコックと比較してしまい、もたついている印象をもってしまう。この映画の場合、爆発に関してシンバルと列車への狙撃など複数の要素が入っていてかえって緊張の高まる瞬間を逃しているように思う。一人のヒーローではなくそれぞれの道のプロ(地下鉄職員、刑事、爆弾処理班、狙撃部隊、交渉課)が共同で犯罪に立ち向かうのはこのシリーズのいいところだが、その反面視点が分散しすぎて緊張感を欠いてしまうところもある。物語の終盤、真下が演奏会場に駆けつけることにもっと意味をもたしてほしいし、犯人との対決の緊張感をもう少し出してもよかったような気がする。
 ユースケ・サンタマリアは、何を考えているのか分からないつかみどころのなさが、交渉人の役にあっていたと思う。ただ、パニックの描写がおとなしく、犯人とのやり取りに一般市民の命がかかっているという緊迫感があまり出ないので、ドッペルゲンガーの時に見せていたような得体の知れない凄みを感じさせる場面がないのがちょっと残念。映画の前半にパニックの緊張感をその凄みのある存在感で支えていたのが、地下鉄総合指令長として次々に指示を出していく國村隼である。