コーヒー&シガレッツ

 登場人物たちの多様性にまず驚く。人種、年齢、国籍、社会的地位、趣味、性格、話し方が異なる登場人物たちがコーヒー(時には紅茶)とタバコによって緩やかにつながっている。彼らの会話はいつも微妙なずれをはらんでいて、双子やいとこ、親子間の会話であっても強調されるのは共通点ではなく、けんかにまでは至らないちょっとしたずれや食い違いだ。たとえばイギー・ポップトム・ウェイツ。やっている音楽も、着ている服装も、そしておそらく価値観も、少しずれている二人の会話には、時に気まずい沈黙が訪れる。こういう雰囲気のときに視線をあらぬ方向に漂わせ、困惑している二人の動作と表情が楽しい。この気まずい雰囲気は、アルフレッド・モリーナとスティーブ・クーガンの間にも訪れるし、久しぶりに会った友人同士(アレックス・デスカス、イザック・デ・バンコレ)にも訪れる。ケイト・ブランシェットは一人でこの雰囲気を作り上げている。そして、次の言葉が訪れるまでの沈黙の時間、人は口からタバコの煙を吐き出し、なにか飲み物を口にせずにはいられない。
 普通なら退屈な時間としてカットされてしまうこのちょっとした間にこそ豊かなものがある。そのことを最後の短編「シャンパン」の老人は教えてくれる。すぐに終わってしまうだろう10分間の休憩時間が、一人の老人の記憶によって金のかかった大作映画よりも豊かな10分間に変わる。殺風景な工場の片隅に、美しいマーラーの旋律が流れ、安いコーヒーは豪華なシャンパンに変わり、20年代のパリや70年代後半のアメリカ文化が乾杯によって二人の脳裏に広がるだろう。最後にウトウトと眠りだす老人の夢の中には一体どんなすばらしい光景が広がっているのだろうか。