Shall we Dance?

 日本版を見ている人には文化の違いを考えながら見ると面白い映画だ。アメリカ版で好印象なのは夫婦間のやりとりが大人の男女のものであることだろう。日本版では夫が妻にダンスを教える場面で夫の態度はぎこちなく、子供の助けをかりなくてはならない。もちろんこれは中年の日本人男性の典型的な態度として意図的にうまく演出されていた。一方、アメリカ版では互いの相手の感情への配慮が繊細で、夫は最後に妻をダンスの世界の輪の中に引き込んでいく。花を持って妻の職場に現れる場面はリチャード・ギアだからできるのだろうが、この場面で見られる妻を女性として遇する態度は日本ではあまり見られないものかもしれない。日本版では妻にあまり光が当たっていなかったが、アメリカ版では妻役のスーザン・サランドンジェニファー・ロペスに劣らずチャーミングである。
 アメリカ人の考える男性性は、日本よりもかなり狭いものなのだろうか。主人公の同僚は職場の仲間に隠れて社交ダンスを習っているのだが、そこで彼の口から出るのはゲイとノンケという言葉である。社交ダンスはアメリカ人の考える男性性(アメフトや野球などのスポーツ観戦を好む)から外れており、社交ダンスのようなヨーロッパ的な繊細さは奇異に見られるということらしい。だから彼はスポーツ観戦に興味があるふりをしながら隠れて社交ダンスを続けなくてはならない。アメリカ版ではヨーロッパ系よりもラテン系のダンスのほうが似合うジェニファー・ロペスがダンス教室のヒロインであり、この配役もある程度アメリカ人男性の好みが反映されているのだろう。イギリスのブラックプールで行われる世界大会への言及も日本版同様あるが、イギリスへの憧れはそれほど強調されず、代わりに昔のハリウッドミュージカルへの言及や引用がある。日本と違ってダンスの習慣があるアメリカだが、社交ダンスはやや特殊なもので多くのアメリカ人の感性からはずれたものなのかもしれない。メトロセクシャルという、マッチョでない繊細さを持った男性を指す言葉も登場したアメリカだが、大半のアメリカ人にとってそれはまだまだ奇異なものなのだろうか、それとも映画の描写が誇張を含んでいるのだろうか。