インファナル・アフェアⅢ

 確かなものと思われていた善と悪の境界線が、「潜入」の存在によって揺らぎだす。潜入の仕事を全うするためには、相手の世界に染まってしまわなければならない。善の側の潜入は、凶暴な悪の仕事をこなすうちに、内にある凶暴性をコントロールできなくなる。悪の側の潜入は善の仕事をこなすうちに、この善の世界にこのままとどまることを切望するようになる。そして二人の潜入は互いの生き方が鏡像のように似通っていることに気づく。
 しかし二人の心理には違いがある。トニー・レオンは苦しみながらも自分は警官(善)だという信念を持ち続けている。一方、アンディ・ラウは自らが偽の警官(善)であることを自覚しながら、本当の善人になることを望んでいる。そのためには、自らが悪である証拠を消す必要がある。1作目のラストシーンは、鏡像が本物に取って代わることに成功したかのような印象を観客に与える。
 しかし、この続編が明らかにするのは、善と悪の境界線、本物と偽者の違いが明確に存在するということである。トニー・レオンの殉職を中心点に置き、一方に殉職直前の彼の生活が描かれ、他方に彼の殉職後アンディ・ラウが追い詰められていく過程が描かれる。そしてこの二つの世界は意図的に交互に並べられ、トニー・レオン精神科医と交流を深め人懐っこい笑顔を取り戻していく過程と、アンディ・ラウの精神が崩壊していく過程が対照的に見せられる。
 アンディ・ラウが表現しているのは、生き残った勝者だったはずの鏡像の悲哀である。自分の過去が発覚することを恐れる彼は、眠ることのできない日々を過ごしている。そして彼の精神は、自分がなりたいと願う本物の警官トニー・レオンのイメージと、過去の自分の姿の間で分裂していく。病院の待合室で白昼夢を見ているとき、彼は銃をつきつけるトニーと、銃を突きつけられた彼自身を一人でふらふらしながら演じている。鏡像は本物にはなれず、もしそれを望めば自己破壊しか方法がないという悲劇。警官は本能的に相手の手足を撃ち、マフィアは相手の眉間や心臓を撃つ。本物と偽者の差異は最後まで維持されている。
 アンディを追い詰めるヨン刑事役のレオン・ライも、二人に劣らない存在感を見せている。アンディが黒のスーツにノーネクタイなのに対して、レオンは黒のスーツに黒のネクタイと知的な眼鏡で、対照的な姿である。レオンの心には、抜群の能力をもちながら警察学校を退学して去っていったトニーの後姿があり、彼は消えてしまったその背中を追いかけて警官を続けてきたといえる。同じ男の姿を心に宿した、二人の男の対決は見ごたえがある。
 ケリー・チャンレオン・ライ、チェン・ダオミン、アンディ・ラウといった存在感のある俳優たちが演じる登場人物たちは、一人の男の姿を心に抱き続けている。そんな男の役を演じられるのはもちろんトニー・レオンしかいない。この作品の特異な構成も、彼の存在感に負うところが大きいだろう。