大統領の理髪師

 タイトルにある「大統領」という言葉が示すように、政治が主題になっているが、直接的に政治的メッセージを主張する映画ではない。政治を見つめる視点が常に低く設定されていて、そのことが映画にユーモアをもたらしている。例えば、ナレーションは理髪師の子供役の男の子(イ・ジェウン)が担当していて、政治をめぐる大人たちの右往左往の描写を滑稽なものにしている。シリアスに描かれることの多い学生運動民主化運動も、学生と警官隊の間で妊婦の妻(ムン・ソリ)をリヤカーに乗せてうろうろするハンモ(ソン・ガンホ)の存在のため滑稽に見えるし、北のスパイや密告という重い要素はマルクス病(実際にはただの下痢)という設定で笑い飛ばしている。そしてハンモは庶民的な下町の無学な理髪店店主として、下町と大統領官邸を往復しながら、官邸での政治劇を大統領の脇で見つめている。
 政治が抽象的なテーマとしてではなく、俳優の肉体を通して描かれている。選挙に対する民衆の熱狂、デモ、そして政治による暴力。国の混乱期、軍事政権、抑圧、民主化の流れが、子供の誕生、成長、脚の障害、そして再生と重ねあわされている。陛下は国家だ、と何度も復唱させられるハンモは、その国家の肌に直接剃刀を当てて髭を剃る。小さな傷をつけてしまいハンモが慌てる場面はおかしいが、そこには国家の脆さが露呈している。しかしその脆い国家は、肖像画から絵の具を削り取ることすら恐れるハンモのような庶民の得体の知れない「信仰」によって支えられてもいる。マルクス病をめぐる騒動は、下痢によって政治の滑稽さを、そして拷問によって政治的暴力を描いている。
 ハンモと息子の再生、それは権力者への信仰から抜け出すことでしか達成できない。そしてそのための手続きが、大統領の肖像画に剃刀をあてることなのだろう。二人が自転車をこぐラストシーンは、政治の引力圏から脱出して肉体の自由を回復した晴れやかさに満ちている、それがつかの間の自由かもしれないとしても。