アビエイター

 冒頭と終盤に短く挿入される少年時代の母との入浴場面がこの長い映画全体を支えている。薄暗い部屋の中で、石鹸水を使って母に体を洗ってもらう場面には、父親の姿はなく、まるで羊水の中にいる胎児のように、ハワードは母親によって作られた石鹸水の皮膜の中にいて、その皮膜の外は恐ろしいばい菌だらけの世界だと母から教えられる。彼は生涯この皮膜の外を恐れ続けていたように見える。
 例えば、ハワード(レオナルド・ディカプリオ)の部屋に設置されているスクリーン、そこに映し出されるのは汚れた地上から離れた空の世界と、クローズアップされた美しいハリウッド女優たちの姿である。彼はスクリーンという皮膜を通して世界を見ることを好んでいたように思える。そしてスクリーンに映った女優たちは彼にとっては常に母の記憶と重ねあわされているようだ。ハワードの足をキャサリン・ヘップバーンケイト・ブランシェット)が洗ってやる場面、部屋にこもっているハワードの体をエヴァ・ガードナーケイト・ベッキンセール)がきれいにしてやる場面には、彼にとって母性的な存在が欠かせないことを示している。また、ディカプリオにはそういう役がよく似合うと思う。飛行機のコックピットの中に入って地上から離れた世界にいることも、スクリーンつきの自分の部屋にこもって外との接触を避けることも、彼にとっては同じことなのかもしれない。
 少年時代の彼が母親の前で将来を誓う言葉には、the biggest, the fastest, the richestなど、最上級の表現が並んでいる。それは、直接母が口にしないとしても、やはり母の願望なのではないか。少年は母親の意図を感じ取り、自分の願望として話しているように見えるのだが、もしそうならとても悲しい場面である。なぜなら彼はこの誓いを守るために、常軌を逸した行動を生涯にわたって続けているからである。世界一金のかかった映画を撮り、世界一速い飛行機に自分の身を危険にさらして乗り込み、そして合衆国政府と世間を敵にまわし、自分の会社を破産寸前まで追い込んでまで、世界一大きな飛行機を飛ばすことに執着している。そうして得た名声と引き換えに、彼の精神は壊れていく。
 マーティン・スコセッシ監督が流麗なカメラワークで描いたハワードのキャラクターは、エキセントリックであるにも関わらず、アメリカ的なものを感じさせる。異常なまでに一番であることにこだわり、異常なまでに外の世界を恐れる男の描写は、アメリカの病そのものの描写ではないだろうか。