トニー滝谷

 イッセー尾形宮沢りえが本当の夫婦のように自然に画面のなかに収まっている。そしてこのツーショットがあまりに自然なので、またあの孤独の牢獄に戻ってしまったらどうしようというトニーの恐怖感が、背後でなっている時計の秒針の音とともに観客にも伝わってくる。一人黙々と作業をするトニーをイッセー尾形が、まるで自分の私生活を見せているかのように自然に演じている。しかしそれ以上に驚いたのは宮沢りえである。彼女がトニーの仕事場を去っていくときの後姿は、「まるで遠い世界へと飛び立つ鳥が特別な風を身にまとうように、とても自然にとても優美に服をまとっていた」という原作の言葉そのものである。
 ゆっくりと左から右へ移動するカメラ、同じフレーズを反復する坂本龍一のピアノ、背後から自然光が入ってくる室内、監督の市川準は一つの演出方法を徹底することで独特の静かな空間を作り出している。原作は三人称で語られるが、この孤独な男トニーが他の村上春樹作品に登場する主人公たちと似ていることは間違いなく、つまり村上春樹自身の価値観がある程度このトニーにも反映されているだろう。対象物から常に一定の距離をとって正確に写生するというトニーの姿勢は、世界に対してある一定の距離感をいつも感じさせる村上春樹作品の特徴と共通しており(ただし村上春樹は視覚的に描写するタイプの作家ではないが)、市川準のとった演出方法は、この独特の距離感を表現するための手段といえるだろう。
 原作とは違う部分が映画の後半にある。原作ではトニーの妻と妻の死後雇われる女性との間には、服のサイズ以外に特に共通点はない。ところが映画では宮沢りえが二役を演じている。性格の違いもきちんと演じ分けられているのだが、しかし二人目の女性に観客は当然トニーの妻の面影を見るだろう。妻の昔の恋人とトニーがパーティで出会う場面を見ると、原作と違ってトニーの過去の記憶は完全には死に絶えていないように見え、完全な孤独の牢獄に戻っていく原作とは少しニュアンスの違いが感じられる。そしてそれは無理な原作の改変には思えない、なぜならこの映画の宮沢りえは本当に印象的で、その印象が記憶から完全に消えてしまうというストーリー展開のほうがむしろ不自然に思えるほどだから。