ネバーランド

 バリを演じているジョニー・デップの演技で最も重要なのはささやくような繊細な声だろう。この映画でのバリは単に子供っぽい成長を止めた人間ではない。だから彼の声も子供っぽい甲高い声ではなく、子供だけでなく大人の女性も引き付ける魅力をもっており、それゆえ公園でピーターの家族とあっという間に打ち解けることができる。自分が子供っぽいのではなく目の前にいる子供の感情に敏感な男、それが今回ジョニー・デップが作り上げたジェームズ・バリ像である。
 母親が病気になったとき、そのことを長男ジョージ(ニック・ラウド)とバリは相談するのだが、この場面でジョージは母親を説得する役割を引き受けることで、大人になる。デップ演じるバリは繊細な声と頭ごなしに命令しない柔軟な態度で長男の決意を促すことで、彼が大人になる瞬間を生み出しているのだ。
 一方、三男のピーター(フレディ・ハイモア)は最も繊細で最も傷つきやすいがゆえに、大人ぶって気難しい態度をとっている。彼に必要なのは素直に子供に戻る瞬間であることをバリは知っており、だからこそ彼を遊びに誘い、彼の名前を取ったピーター・パンを創作する。バリは、ピーターと一緒に遊ぶときは子供のようにはしゃぎ、ピーターの怒りを受け止めるときは落ち着いて相手の声に耳を傾けている。特に最後ピーターの悲しみをベンチに座って受け止める場面での、相手を慰撫する声と、相手の胸と頭にそっとおかれた手がすばらしい。
 子供たちの祖母が体現している当時の階級社会の厳格さや聴衆の堅苦しさを描くことで、ピーター・パンの世界がそれらに対する批判的な意味を持っていることも分かる。ただ純粋な子供時代に戻ろうというような退行的な映画になっていないところがこの映画の魅力だが、それは、松浦寿輝がレビューで使った言葉を借りると、「仄かな倒錯」さえ感じさせるジョニー・デップの演技に負うところが大きいと思う。