犬猫

 スヤスヤと寝息をたてて部屋でねむっているスズ(藤田陽子)の横に置いてある本のページが、少し開けたサッシ戸から入ってきた湿った微風でめくれ、しとしとと降る雨がサッシ戸の隙間から見え、静かな雨音が室内を満たしている。この場面で見られるように、二人の女性、スズとヨーコ(榎本加奈子)の周りにある空気、音、におい、様々な小物や衣服、そしてもちろん光が、二人の日常生活を常に祝福している、まるでロメールの映画のように。
 重いトランクを引きずりながらちょっとずつ坂道をのぼっていくアベチャン(小池栄子)とスズとヨーコ、階段の手すりを滑り降りてくる古田(西島秀俊)、自転車に乗っている三鷹忍成修吾)、ラジオ体操するヨーコ、走って遠ざかっていくスズの後姿、彼らの動きがいつも映画に心地よいリズムと運動をもたらしている。そして彼らの周りにいる動物たちもまた、俳優たちと同じように画面を活気付けるように動くことに驚いてしまう。公園でスズのあげたパンに群がってくる鳩の、一度近づき、遠ざかり、また近づいていく動き。ラジオ体操をしている人々の前でなぜかカメラをじっと見つめている犬の表情。散歩にいくたびにスズとヨーコを必ず土手でずるずると引きずっていく大型犬。そしてカメラの前をいつも優雅な動きで横切っていく黒猫のムー。
 スズとヨーコにとって重要な二人の男性のゆるやかな動きも魅力的だ。冒頭で母親に甘える子供のような態度でスズに「スプーン」、「お茶」を要求する古田は、彼の母親ではなく恋人でいたいはずのスズに当然のことながら逃げられる。そして映画の最初から終わりまで、彼は二人から包丁やアイロンを向けられたりドアに指を挟んだり殴られたり色々災難にあう。しかし古田は離れていても肩の力の抜けた自然体の魅力でスズと前の恋人ヨーコを今でもひきつけているのであり、二人が街を駆けていく気持ちいい移動撮影のシーンで、二人の目的地は共に彼なのだ。そしてもう一人、スズとヨーコをひきつける三鷹は、いつもゆるーい感じで自転車にのっていて、ゆるーい感じでコンビニの前を掃除している。しかしこののんびりした三鷹クンがスズを自転車の後ろにのせてヨーコの働くコンビニの前を通過するというおかしくておそろしい場面を作り出してしまう。しかし家に呼ばれた彼は大変な修羅場を作り出してしまったことに気づいている様子もない。(何かしら期待していたことは帰らされる時の少しあわてた様子から推測できるが。)
 同じ道で迷い、同じように犬に引きずられ、同じ男に恋してしまうスズとヨーコは、全くタイプが違うのに、運命的に結び付けられているとしか思えない。映画の終盤、あんな修羅場の後でも、ヨーコはスズの犬の散歩の仕事を代わりにやってあげ、スズは雨で濡れてしまった洗濯済のヨーコの服を物干し竿から取り込んでやる。共同生活のなかで互いをちょっとずつ許したり許さなかったりする二人の関係が、料理をしたり掃除したり服を選んだりする日常の動きを主にワンカットで捉えた画面から見えてくる。鏡の前で二人で服を見ているときや、スズがヨーコの指に包帯を巻いてやるときのすばらしいツーショットの、官能性すら感じてしまうような親密さにドキドキさせられる。そして映画が終ったときに感じた唯一の不満は、もっとこの空間のなかに留まっていたいのに、映画が終ってしまったことだった。