オペラ座の怪人

 クリスティーヌ役のエミー・ロッサムミスティック・リバーデイ・アフター・トゥモローに出演していて、確かにきれいだけれど特に目立つタイプの女性には見えなかった。この作品でも、最初クリスティーヌはダンサーの一人であって、美しいけれど抜きん出た存在には見えず、幼馴染のラウルも気づかず横を素通りしてしまう。ところが彼女がプリマドンナの代役に抜擢され美しい透明感のある声で歌い始めたとたん、周りの女性を圧倒する歌姫に変貌する。ラウルもまた歌声を聴いて彼女が幼馴染であることを思い出し、彼女に恋をする。声がこれほど人の印象を変えてしまうことに驚く。
 純白の衣装に身を包んだ清楚な歌姫誕生の場面の後、次にエミー・ロッサムはまた別の表情をみせる。ファントムに誘惑され地下に連れて行かれ、ザ・ミュージック・オブ・ザ・ナイトを歌う場面では、ファントム役のジェラルド・バトラーの誘惑的な眼と、口を半開きにして、我を失ったようなうつろな眼をしたエミー・ロッサムの官能的な表情がスクリーンに映し出される。こういう視線の交錯や表情の細やかな動きは舞台とはまた違う表現であって、舞台経験もあるとはいえ本職は映画俳優である二人の演技力がこの場面では生かされている。
 クリスティーヌは二人の男性、ファントムとラウルの間で揺れ動いているのだが、それをエミー・ロッサムは二つの表情で演じ分けている。ラウルといるときには、クリスティーヌは信頼できる人に身をまかせている安心感が表情ににじみ出ている。一方、危険な誘惑に身を任せたときの官能的な表情が最も際立つのが、ファントムと共にポイント・オブ・ノー・リターンを歌う場面である。一度、ずれた肩紐を元に戻しながら誘惑に抗う素振りを見せるものの、結局両方の肩紐はずり下がり、官能的というかほとんど淫らといってもいいような表情でファントムに身をまかせる。これを見ていたラウルが、彼女の中に彼が触れることのできない領域があることを知ってしまったことが、彼が涙をうっすら眼に浮かべて見つめるクローズアップの短いワンショットで示される。
 ファントムを舞台版よりもリアリスティックに描写しようとしていることは、幼少時代のエピソードの追加や演出方法、顔のメーキャップなどで分かる。賛否両論分かれそうな部分だが、彼の内面が描写されることで、愛するものに去られ置き去りにされた一人の男性としてのファントムの絶望感が伝わりやすくなったような気はする。そしてこの愛するものに去られる悲しみを、妻に先立たれ、すでに老人になったラウルは今では理解している。そのことが最後の墓地のシーンで示される。