カンフーハッスル

 豚小屋砦の住人と斧頭会との対立という構図が一方にあり、負け犬のチンピラとして生きてきた主人公がカンフーの達人として覚醒するというストーリーがもう一方にある。もちろんこの二つの要素はクライマックスで一つになるのだが、最後の格闘シーンが面白かっただけに、主人公覚醒のストーリーをもうちょっと見たかった。主人公のドラマ性がやや薄いのは、対立の構図の中で主人公が斧頭会の近辺をうろうろしている小物であり、豚小屋砦の住人としてキャスティングされた往年のスターたちにチャウ・シンチーがアクションシーンの見せ場を敬意を表してほとんど譲っているせいかもしれない。最後の試合にすべての要素が集約されていく少林サッカーとの違いはそこだろう。小林サッカーではヒロインまでもが坊主頭でグラウンドにキーパーとして現れチームの危機を救い、ラブストーリーも敵チームとの対決の中に織り込まれていくのだが、カンフーハッスルのヒロインは負け犬覚醒のストーリーの中で重要な役割を果たしているが、対立の構図の中には全く入ってこない。時々はさみこまれるギャグのシーンで本領を発揮しているものの、前半からチャウ・シンチーの活躍場面をもっと見たかった。
 同じようにカンフー映画に敬意を表しているキル・ビルとの違いは、香港の下町の感覚を出そうしているところである。それは個性的な三枚目の顔をそろえたキャスティングや、金をかけて作ったと思われる豚小屋砦のセットを徹底的に汚して貧乏くさくしてあることからもわかる。スクリーン上で見るだけでなく実際にそういう地域で育ってきたチャウ・シンチーの強みがここで発揮されている。ハリウッドが映画製作に関わってきても、こういう要素は彼にとって欠かせないところなのだろう。
 前半のなつかしい真面目なカンフーアクションが好きな観客もいると思うが、少林サッカーでの、蹴ったボールがありえない距離まで飛んでいく場面が好きな私にとっては、最後のシーンで雑魚たちを主人公がブルース・リーのような回し蹴りで次々にありえない距離まで吹っ飛ばしていく場面は楽しかった。こういうシーンで、ギャグとかっこよさをちゃんと両立させてしまうところが、喜劇俳優とアクションスターを両方こなす彼の才能なんだと思う。だからこそ彼の演出が一番冴えているのは彼自身が出ている場面ではないだろうか。