ゴジラ FINAL WARS

 映画の中に、右手と左手に怪獣の人形を持ってぶつけながら遊んでいる男の子が出てくるのだが、彼はテレビで本物の怪獣が暴れているのを見て大喜びする。50年続いてきたこのシリーズはこういう「男の子」の欲望を満たしてきたのだと思う。実際、映画館には会社では役職についていそうな背広姿の初老の男性もいて、「男の子」の気持ちに戻ってグッズカタログを熱心に見つめていた。
 おそらく初代のゴジラのような「恐怖の対象」としてのゴジラを描くか、怪獣同士の街を舞台にしたプロレスに徹するのか、二つの選択肢があるのだが、北村龍平監督が選んだのはもちろん後者である。プロレスラーをキャスティングしている彼の好みからいってこの選択は当然で、怪獣バトルで怪獣が見得を切るように一声吠えるのは完全にプロレスのノリである。壊される街や戦車が時々安っぽいおもちゃのように見えるのも、「男の子」の怪獣ごっこを再現するにはむしろ好都合だろう。
 このノリをドラマ部分の演出にも持ち込んでくれればよかったのだが、残念ながらマトリックス風のアクションも含めて退屈なところが多かった。それに125分も必要とするようなストーリーではない。ところがただ一人このノリをドラマ部分に持ち込んで観客を楽しませてくれるのが侵略宇宙人役の北村一輝で、彼がいなかったらもっと悲惨なことになっていただろう。