マイ・ボディガード

 スパイゲームに続いてトニー・スコットが描いているのはメキシコシティを舞台にした苛酷で血なまぐさい誘拐をめぐるマネーゲームである。冒頭からめまぐるしく画面が切り替わる編集で遠近感を失った混沌とした世界として提示されるこの都市では、人の命や切り落とされる身体の一部が金や貴重な情報と交換される。子供といえどもこの誘拐産業のシステムから逃れることはできず、弁護士や警官が誘拐に加担し身代金に群がるような場所で法の保護など存在しないに等しい。誘拐されるピタ(ダコタ・ファニング)の家はブルジョワ階級であり、誘拐犯の家族はスラム街にいる。貧富の差は放置され、暴力と策謀によって互いに金を奪い合う場所、それがピタとクリーシー(デンゼル・ワシントン)の住む世界である。ボディガードという仕事もこのような誘拐産業のシステムの一部にすぎない。
 ピタとクリーシーの関係は最初雇う者と雇われる者の関係に過ぎないのだが、孤独な立場に置かれた少女と軍隊で人間性を奪われたボディガードの関係は徐々に変わっていく。二人の確かな演技力はいうまでもないが、バックミラー越しの二人の視線のやり取りや身体の距離によって二人の関係を表現する演出もすばらしい。またいつもにもまして多用されるトリッキーな編集と画面処理はこの都市の混沌を表すだけでなく、戦争のトラウマを抱えた元兵士クリーシーの崩壊しつつある精神状態も表している。ピタとの交流によってクリーシーが人間的な表情を取り戻していく過程が前半の見所である。しかし残酷なことに、ピタにとってクリーシーが金で雇われる使い捨てのボディガード以上の存在になったことが、誘拐を防げない原因となってしまう。ちなみにこの場面でも、複数の敵に囲まれて多くの情報を一度に処理しながら迎え撃つクリーシーの精神状態が、画面が次々と切り替わるスピードによって示されている。
 映画の後半はクリーシーの血なまぐさい復讐劇になるが、彼はこの場所の流儀に従っているにすぎない。俺のかけがえのない大事な存在を奪った対価をこの血なまぐさい都市のやり方で支払えと彼は言っているのだ。悪徳警官の指を切り落とし、敵のボスの家族の指を銃で吹っ飛ばすのも、この場所ではいささかも異常な行為ではない。この復讐戦に臨むとき、彼は肌身離さず持っていた聖書をピタの母親にあずけたままにしている。倫理なき場所に自分の身を再び落とすことを彼はおそらく意識しており、だから人によっては後味が悪いかもしれないラストも不思議ではない。この血なまぐさい取引によって成立している世界を根本から変えることなどできない以上、貴重な存在を取り戻しその安全を保障するためには対価を支払わねばならないことを、人質交換の場面の前に彼は覚悟していたはずである。人を殺し続ける人生の中でようやく自分の全存在を捧げる存在を見出した男の壮絶な生き方をデンゼル・ワシントンが見事に演じている。