アイ,ロボット

 アシモフからとった題名から論理的で緻密な世界観の設定をもつ古典的SFを期待する人もいるかもしれないがそうではなく、あくまでウィル・スミス主演のアクションを主体とした娯楽SF映画。ロボット工場にずらりと並んだ千体のロボットの中にサニーが紛れ込むシーンや、トンネルの中でスプーナー刑事の車に次々としがみついてくるロボット群とスピンする車、崩壊する家から間一髪スプーナーが猫を抱いて脱出するシーンとか、ちょっと面白いアクションシーンもある。ただ、最後の高層ビル上のアクションは、外壁をロボットがよじ登ってくるところとかはいいけど、最後の攻防はもっと高さを画面から感じさせてほしかった。あと、刑事が事件の謎を追う謎解きとして楽しめる部分はあまりない。
 ロボットの進化形として、今回二つのタイプのロボットが登場する。一つはロボットというより人工知能のような存在であるVIKIで、これはあくまで人間を人類という集団としてとらえ、管理、保護しようとする。一方サニーは個体としての人間にもっとも近づいたロボットであり、複雑な感情表現をすることができる。自分の周りにいる人間に愛着をもつことすらできる。二つのロボットが下した判断が全く異なるところが面白い。そしてこれは人間が判断を下すときに何を基準としているかを写し出す鏡でもある。スプーナー刑事がロボットを信用しない原因となっている過去の出来事もこのテーマを補足する機能を果たしている。
 また、ロボットは労働者としてある階級を形成している。ゴミ処理、配達、家政婦、ウェイター、・・・。三原則によって見返りなしに一方的に人間に仕え、緊急時には人命救助までして、新型がでると即座に回収され廃棄されるロボットたち。機能的にはより「人間」に近づいているのに、一方では「物」として廃棄処分される。コンテナ内で廃棄をまつ大量の旧型ロボット群は、しかしそれでも組み込まれた三原則に忠実に刑事を守ろうとする。サニーの処分について、企業の経営者は「廃棄」という語を使い、サニー自身は「死」という語を使う。単なる「物」でも「人間」でもない「労働者たち」がどこに向かうのか、この映画はロボットがサニーに導かれ廃棄を待つだけの存在から脱皮することを暗示している。