永遠の語らい

 美しい歴史学教授(レオノール・シルヴェイラ)とその娘(フィリパ・ド・アルメイダ)の歴史問答が映画前半の中心なのだが、この時の母親の何度も娘の髪をなでてやるしぐさ、娘を見つめるときのまなざし、それを見つめ返す娘の信頼に満ちた表情、手をつないで歩く二人の姿が美しく、そこには葛藤というものが全く見当たらない。旅の行程も、見送り、出発、波を切って進む船、到着、遺跡めぐりと、同じパターンを崩すことなく繰り返しながら進んでいく。歴史の教科書を一ページずつめくっていくような律儀さで映画は進行していくのだが、彼女たちが訪れているのはかつて栄え、そして崩壊した文明の跡地であり、調和を一瞬にして断ち切る災害や戦争についても語られている。ただ彼女たちが今そのような暴力を予感しているわけではなく、それは今とは違う古代や中世のお話として語られる。
 後半の中心は客船の食堂での食事シーンだが、ここでは三人の女性客(カトリーヌ・ドヌーブステファニア・サンドレッリイレーネ・パパス)と船長(ジョン・マルコヴィッチ)が互いに異なる言語を使いながらもスムーズに知的な会話をする。ここでは豪華な俳優陣のおかげでそれぞれの言語特有の耳に心地よく美しい音を十分に堪能できる。会話の中にバベルの塔への言及があるが、この船上でバベル以前の調和が達成されるかのような幻想に彼らが浸り、その幸福感がイレーネ・パパスの歌によって頂点に達したとき、幻想は文字通り吹き飛ばされる。
 安易に映画の細部を政治情勢の象徴として解釈したり、マノエル・ド・オリヴェイラ監督の政治思想を読み取ったりするのは避けたいが、しかし意味ありげな細部があるのは事実である。アメリカ人の船長がイエメンのアデンで買い、美しい母娘に近づき手渡す人形は、この親子の運命を決定するのだが、それがアラブ人の姿をしていることは、イスタンブールキリスト教会がモスクになった話や、食堂での会話で言及されるアラブの話とどうつながるのか。アメリカ人の船長に導かれるヨーロッパ人の乗客、そして船長が最後に犯す致命的なミス、これは現在の世界情勢の縮図なのか。前半の遺跡めぐりで語られていた文明を崩壊させる暴力に、現在の西洋文明もさらされていることを、海への転落を必死にこらえる可愛らしい白い犬は示しているのだろうか。