69 sixty nine

 冒頭、米軍基地のフェンスを乗り越えようとするケン(妻夫木聡)の躍動感、佐世保弁独特の柔らかな音とイントネーション、そこに重なるクリームの「ホワイトルーム」、ここでいい映画に違いないと確信する。ケンとアダマ(安藤政信)が走る場面はすべていいが、米軍基地から逃げる場面や、ケンがアダマの下宿にすごい勢いで転がり込んでくる場面は特に気持ちいい。
 説教くさい「思想」の説明で映画が止まってしまうことが全くない。エセ左翼学生はケンたちに向かって「テーマ(思想)もないのに映画を撮るのか」と薄笑いを浮かべるのだが、この大学生たちにはケンが全身から撒き散らしている「楽しさ」や躍動感がなく(ケンを追いかけて失速していくシーンが印象的)、学生たちはケンに吸い寄せられていく。バリ封のとき壁や窓に書かれる様々な標語は、毎日同じことが反復される学校の姿を一夜で変えるための装飾として機能しているので、意味内容などどうでもいいのだ。原作小説のテーマ、「何かを強制される集団は醜い」という生真面目なセリフさえ、映画ではアダマが強烈な訛りで話すことでギャグのネタになっている。
 周りに快楽を波及させて人をひきつけるケンの役を妻夫木が人懐っこい笑顔とかっこよさで好演している。これほどの躍動感を画面にみなぎらせることのできる人は今あまりいないと思う。また、職員室で殴られる場面での相手を見返すまなざしの鋭さも印象的。アダマ役の安藤もいつものクールなかっこよさに加えて今回はユーモアや一つのことにのめりこんでしまう生真面目さも表現して、役に立体感を与えている。他の高校生役の俳優たち、大人役の俳優たちも適材適所のキャスティング。脇役としての柴田恭平(ケンの父親役)の魅力を発見できたのもよかった。
 女性は男子学生の目から見たイメージにほぼ限定されているが、これは正解だと思う。映画の最後のほうにケンと松井和子(大田莉菜)のデート場面があるが、ケンはキスできる距離に相手がいても、遠くから手を振っていたときと同じように「松井さ〜ん」と相手を呼んでいて、8ミリフィルムのレンズを通して相手を見つめている。この短いシーンで二人の距離感が十分表現されていて、この距離は縮まることはないだろうと予感させる。