スパイダーマン2

 一作目で魅力的だった、スパイダーマンの振り子運動での空中移動は今回も心地よい。最近の特撮映画では人間に重さが感じられない場合が多かったのだが、サム・ライミ監督は重力を観客に感じさせるための演出をしている。ピーター・パーカー(トビー・マグワイア)が特殊能力を失い垂直に落下する場面が2回あるが、どちらも骨が砕けるんじゃないかと思うような落ち方で地面に叩きつけられる。こういうシーンで観客が落下の恐怖を体験しているからこそ、特撮を駆使したスパイダーマンの糸を使った空中移動や格闘シーンが生々しく感じられることになる。特に摩天楼の間を振り子運動で上昇していくときの高揚感はすばらしく、またその場面での主人公の心理を表す役目も時には果たしている。
 ドック・オクのアームも、一つ間違うとかなり滑稽なものに見えかねないのだが、監督はいくつかの演出によってこれを禍々しいものに見せている。まず、手術室でアームが暴走し医者や看護婦たちを殺戮するシーンは流血こそしないものの完全にホラーの演出である。犠牲者がすごい勢いで引きづられ、悲鳴があがり、壁に怪物の影がうごめく。自らの知能をもつこれらのアームはここで単なる化学兵器以上のおそろしい悪魔になる。さらに、オクが登場する時には、ゴジラが登場するときのように、重々しい足音(実際は足ではなく触手だが)が響き渡る。この重量感は前回の悪役にはなかったもので、スパイダーマンとの格闘シーンに前回以上の迫力を与えている。また、まだ怪物になる前の実験前夜、博士夫妻はパーカーと食事するのだが、ここで夫妻が互いに愛し合っていること、彼が好人物であることがアルフレッド・モリーナの演技と監督の的確な演出でわかるのだが、これがドック・オクに悲劇的な側面を与えている。これは知性的な表情と悪魔的な表情を演じ分けられるモリーナの起用が功を奏している。
 特撮をつかった映画では薄くなりがちなドラマ部分も大変充実している。主人公と伯母(ローズマリー・ハリス)との家族関係、主人公と恋人(キルスティン・ダンスト)との歯がゆい関係、主人公と親友(ジェームス・フランコ)との友情と復讐の関係を表現するさまざまな会話シーンはどれもいいが、特に伯母との室内での会話シーンは手を握ったり触れたりする動作、ドアの開け閉めの音など繊細な演出がなされている。主人公と脇役とのちょっとしたふれあい、例えば大家の娘とケーキを一緒に食べるシーンとか、電車の乗客たちにスパイダーマンが優しく介抱されるシーンとか、挙げるときりがない。
 活劇、ホラー、ホームドラマ、メロドラマなど多彩な要素を一つの作品の中で的確に演出しているのだから、サム・ライミの能力に改めて感心させられた。