ヴァンダの部屋

 おそらく、私が現実にこの地区を通りかかったらできるだけ早く立ち去ろうとするだろう。建物を取り壊す暴力的な破壊音が絶え間なく響き、狭い部屋の中には薬を吸うために使う使い捨てライターのようなガラクタが散らかっている。部屋の主はいつか血を吐くんじゃないかと思わせる病的な咳を痩せた体を折り曲げながら繰り返し、それでも大麻の吸引をやめない。
 しかしそんな空間にも光は差し込む。光のない夜ならろうそくを置けばいい。わずかな光があれば、ペドロ・コスタのカメラがその空間をとらえることができる。そしてスクリーン上のヴァンダの部屋は私にとって魅力的な、厳かな雰囲気さえ漂う空間となる。わずかなろうそくの光の中に浮かび上がる彼らの肉体のフォーム。
 もちろんこの映画はヴァンダがコスタのカメラを受け入れることで成立している。そしてヴァンダは悪態をついたり罵声を家族にさえ浴びせることがあるにもかかわらず、地域の人々を自分の部屋に受け入れる。花を売りに来た男が、薬をヴァンダに恵んでもらい、売りにきたはずの花をそのまま置いていく。抱擁しあうといった映画にお決まりのコミュニケーションとは違う種類のコミュニケーションがこの部屋で何度も成立している。コスタ自身が彼らの関係について簡潔で美しい言葉で語っている。

寄り添って生きること、あまりにも暴力的で痛ましく引き離され、あまりにも孤独だが同時に共に生きている