パッション

 信者にってはゴルゴダへの道行き(聖書そのものというよりもイスラエルにあるビア・ドドローサに基づいた再現だが、映画としてはやや間延びした印象)や十字架のシーン(当時の十字架刑の再現で、すぐには死なない)がクライマックスに違いないけれど、私にとっては鞭打ちのシーンが一番印象に残った。すでに何人かの批評家が述べているように、主演のジム・カヴィーゼルの柔らかい存在感と肉体には魅力があり、その裸の肉体が真っ赤に変容するのがこのシーンである。

 もちろんその後も延々と責め苦が続くのだが、ショッキングなシーンそのものよりもおそらく重要なのはそれをみつめ続ける女性たちの視線である。傷だらけの細く柔らかい肉体を見つめる嘆きの女性たち。マリヤ、マグダラのマリヤ、ヨハネが常にイエスの受難を見つめているが、画面上でヨハネや他の男の弟子たちの存在感が妙に薄いのに対し、マヤ・モルゲンステルンモニカ・ベルッチの嘆きの視線はこの映画にとって欠かすことのできない要素になっている。この二人の印象的なアップをいくつも見る事ができる。さらにピラトの妻や聖書にはでてこないヴェロニカという女性もイエスを見つめている。おまけにイエスについて回る、妙に現代的な表情の誘惑する悪魔は聖母子のパロディをイエスに見せ付けている。主演男優の魅力だけでなくこういう構成も主題に似つかわしくない奇妙な官能性を映画に与えている。