イノセンス

 イノセンスが今年のカンヌのコンペにノミネートされている。アニメ好きのタランティーノが審査するし、それに今年のコンペ出品作品は去年ほどの大物は見当たらないのでひょっとしたらということもあり得る。映画を見てから時間がたってしまったが、ちょっと気になる点もあったので書いてみる。

 監督はインタビューで今回の作品について、事件の謎を主人公が追い、それに観客も引き込まれるという作劇をしていないと言っていたと思う。実際、主人公が追う事件に関して、暴力団多国籍企業の関わりなどは重要視されていないことがわかる。ではプロットの代わりに今回前面に出ているのは人形という主題である。球体関節人形をもでるにした、クオリティの高い絵で表現された女性アンドロイドの顔は冷ややかながらエロティックで、冒頭に出てきたバトーと戦う女セクサロイドの物憂げな表情もすばらしい。工場で次々と同じ方の女性アンドロイドと草薙が登場する場面でも、アクションとアンドロイドの耽美的な美しさの両方が味わえる。また、直接プロットの展開に関わるわけではないが、主題としっかり結びついたシーンとして択捉の祭りの場面がある。あそこで出てくる人形を焼くところや様々な仮面(人間の顔を人形化しているといえるだろう)が出てくるところは絵のクオリティもすばらしくて引き込まれる。

 しかしこれほど高いクオリティを持つ絵がありながら、セリフの説明で済ましているところも多い。文献から引用している難解なセリフは絵の持つイメージと結びついてこそ威力を発揮したのではないか。「林の中の象」というセリフが印象に残るのはあの場面が林のイメージを伴っていたからであり、祭りのシーンでは象も登場している。デカルトが人形を娘の代わりとして愛したという逸話は、もし少しでもそのイメージを映像として観客に提供していたら、ラストの女の子が人形を持つシーンがもっと生きてきたのではないか。登場人物にプロットと関係ない長い会話をさせることは映画の中で珍しくないが、生身の俳優が浮かべる様々な表情やしぐさがその間に楽しめる実写映画と違って、いくら絵のクオリティが高いとはいえ、絵のキャラが口をパクパクしているのを見つめているのは、漫画的に誇張された絵ではないだけに少々つらい。もっとも海外の映画祭ではあの難解なセリフは字幕だろうから、目で追って読めばイメージがつかみやすくなるかも知れないが。

 一番不思議だったのは事件そのものが事後の犯行現場という形で示されるだけで、被害者などがほとんど直接描写されないということである。もちろん主人公の視点にそって世界を体験するのだし、事件の真相を追うというタイプの物語でもないのだから当然といえるのかもしれない。しかしこの事件は人間の男性がセクサロイドを性欲の対象としていて、そのセクサロイドが暴走して主人を殺しているのだから、主題に一番密接に関係しているのである。さきほど言及したデカルトの例もそうだが、これほどセクサロイドや人形たちを魅力的に描いていながら、人間がセクサロイドや人形を溺愛するという場面の描写が全くない。(押井監督らしいとも言えるが。)人間と人形の本質的な違いは何なのかという主題にとって、人間と人形間の性愛や愛情の問題は避けて通れないはずである。主題と深く結びついた具体的な出来事が観客の前に提示された後で、抽象的な議論が行われるのだったら、まだついていきやすかったと思う。人形の次によく出るイメージである犬に関しては、犬と主人公の共同生活が繊細に描かれていただけに、この空白は奇妙に思える。明らかに球体関節人形に対して魅せられていなければ描けない絵を描いているのだから、同じようにアンドロイドに魅せられている人物を出してほしかった気がする。