プライドと偏見


 一つの空間に複数の人間がいて、そこでそれぞれが自分なりの態度で生きている。そして時折それぞれの人生が交錯する瞬間があるのだが、冒頭のベネット家の描写や舞踏会の場面で、移動撮影によるカメラがその瞬間を捉えている。ほとんどの地主階級の独身女性たちがそうであったように、ベネット家の女性たちには家の相続権がなく、もし父親が死ねば居場所を失うことになる(「いつか晴れた日に」の主人公たちのように)。就職することはほとんどありえないので、彼女たちの運命は結婚相手の男性にゆだねられることになる。舞踏会のような出会いの場は彼女たちにとって残りの人生を決定してしまう場である。
 聡明なエリザベス(キーラ・ナイトレイ)には、妹たちのように下品に将校たちを追い掛け回すこともできないし、ビングリーの妹のように上品に男性にこびることもできない。また、親友のシャーロット(クローディ・ブレイクリー)のように結婚を経済的手段と割り切ることもできない。気質の合わない夫婦がどうなるかは、ベネット夫妻(ドナルド・サザーランド、ブレンダ・ブレッシン)を見て育った彼女にはよくわかっている。女性の行動範囲も限られている時代に、彼女のような聡明な女性が自尊心を保ちながら自分の居場所を見つけることは非常に難しい。映画では彼女が一人で考え込んでいるような場面もいくつか挿入されている。ダーシー(マシュー・マクファディン)のような社会的地位が高く無口な男性の前でも、キャサリン夫人(ジュディ・デンチ)のような気位の高い威圧的な女性の前でも、臆することなく振舞う時の、キーラ・ナイトレイの勝気な表情がすばらしい。
 舞踏会では他人に対する警戒心から表情を硬くしているダーシーが、後半徐々に優しい内面を見せていき、魅力的に見えてくるプロセスがすばらしい。エリザベスを意識してぎくしゃくしてしまうところもおかしいが、雨の降りこめる中でプロポーズを拒絶される場面での傷ついた表情が忘れられない。今までのダーシー役の俳優があまり見せなかったこのナイーブな傷つきやすさの表現が、この映画のダーシーの魅力だと思う。最後、余計な自意識を脱ぎ捨ててラフな格好で朝もやの中を現れた時の彼の姿はみずみずしい。
 ジェーン(ロザムンド・パイク)、エリザベス、リディア(ジェナ・マローン)、シャーロット・・・それぞれ結婚によって自分の場所を見つけた彼女たちはこの先どうなっていくのだろうか。オースティンの描く限られた条件の中で最善の選択肢を探す彼女たちの人生は、男性たちの戦いとは別の意味で、戦いの連続なのだ。