TAKESHIS'

TAKESHIS' [DVD]
 画面上で、北野武は黒髪のたけしと金髪のたけしに分裂している。この分裂は観客に分かりやすいが、二人の世界はさらに分裂していく。設定上、夢と現実の区別があるらしいということは、眠りから覚める場面で分かるのだが、どれが現実でどれが幻想、どれが本物でどれが分身かということを決定することにほとんど意味はない。ただ、どちらの世界にも銃と死がある。
 黒髪のたけしは、テレビ局内の撮影で演じる虚構の世界と現実の世界を往復している。そこでは境界線ははっきりしている。だが、いったん彼が銃を持つと、画面上に不穏な空気がたちこめ、我々はそれが虚構であるという前提を見失いそうになる。例えば、テレビ局内のセットで撮影中、彼が銃を持ち、女を撃ち殺す場面の異様な雰囲気など、銃を手にしたときの彼の顔は人をぞっとさせるときがある。
金髪のたけしの世界では現実と夢の区別がだんだんなくなっていく。夢から覚めたはずなのにまだ悪夢が続いていて、そこから出られないような、奇妙な感覚に我々は陥って行く。だが、本当らしさを失った荒唐無稽な世界の中でも、死のイメージは強烈な印象をのこす。彼は影の薄いおとなしい男だが、銃を手にいれたとたん、表情が変わっていき、他人に軽く見られていた彼と周りの人間の力関係が逆転する。自信なさそうなおとなしい表情から凶暴さが浮かび上がってくるところは、見ていてぞっとする。
 死が最後にカタルシスをもたらすのが悲劇だとすると、これまでの北野作品と違い、この喜劇的でグロテスクな悪夢はそのようなカタルシスをもはや許さない。いくら撃ち殺しても、次の場面では撃ち殺されたはずの男たちがまた現れる。いくら撃たれても、この悪夢の世界が終わることはない。金髪のたけしが黒髪のたけしを刺す、つまり分身が本物を殺すという、古典的な文學ならクライマックスになる場面でさえ、この悪夢からの出口にはならない。その後眼を覚ました黒髪のたけしを待っているのは、映画の冒頭にでてきた日本兵のイメージだ。米兵に見つかり殺される恐怖におびえ、はいつくばっている日本兵。つまり間近に迫った死の恐怖を感じている状態こそ、彼にとって生きるということであり、もはや自死という出口はここには存在しない。
 この悪夢の世界の中で、女性たちはなぜかたけしの悪夢の苦しみからは身を離して、生き生きしている。岸本加世子はたけしに対してなぜかいつも意地悪で抑圧的であって、黒髪だろうと金髪だろうと、銃をもっていようがいなかろうが、彼女の態度は全く変わらない。京野ことみは黒髪のたけしの世界では知的で謎めいている。金髪のたけしの世界では、彼女は破滅とドラマに付き添っているかのように見えながら、HANABIとは違い、沖縄の浜辺であっさり他の男と去っていき、男の破滅のドラマに付き合ったりはしない。青いドレスを着て踊っている女性を浜辺でたけしが見つめている場面の、あの距離感が象徴しているように、男のドラマに時に身を任せながらも、彼女たちは本質的にはそこから自由なのだ。