モーターサイクル・ダイアリーズ

 砂漠、積雪、熱帯雨林など、旅してまわる南米の土地の変化が肌で感じられる。また行く先々で行われるダンスパーティーの音楽とそれにあわせて踊る人々のリズムも変わり、言葉使いも変わる。だが映画全体から感じられるのは乾いた気持ちのいい空気である。この旅は単に広い南米大陸を水平に横切っていくだけでなく、医者志望のエルネストが自分やガールフレンドの属する裕福な階級から自分の土地を持たない貧困階級へと垂直に降りていく旅でもある。そして終盤のクライマックスである河を泳いで横断するシーンはこの絶望的に広がっている階級間の距離を一気に無化してしまいたいというエルネストの衝動を象徴する場面になっている。
 生真面目なエルネスト(ガエル・ガルシア・ベルナル)と口の達者なアルベルト(ロドリゴ・デ・ラ・セルナ)の二人の魅力ももちろんあるが、印象深いのは彼らが出会う貧しい人々の表情である。おそらくプロの役者ではない素人が多数含まれていると思われる現地の人々の日焼けした顔には、長年の困難な生活が残した深い皺が刻まれている。鉱山へ向かうトラックへ行き場のない労働者たちが家畜を追い立てるように乗せられる場面や河の対岸へ隔離されたハンセン病療養所の場面は、もちろんフィクションとして撮影されたものだが、しかしこれらの場面を生々しいものにしているのは彼らの顔と重荷を背負っているような佇まいである。そしてさらにもう一つの印象深い顔が映画の最後に映し出される。老人となった本物のアルベルトの顔に刻まれた皺はゲバラと共に過ごした時間、それからゲバラの死後生きてきた時間が残したものだ。彼らの存在によって、この映画は単なる過去の再現フィルムになることを免れ、ゲバラの時代から現在までの南米の歴史を背負った映画になっている。