世界の中心で、愛をさけぶ

 一つ一つの画面はきれいなんだけど、なぜか全体としては散漫な感じがした。(現在編は特に。)ただ、監督やプロデューサーが力を入れただろう場面、例えば柴崎がカセットを聴いて涙を流すシーン(よくできたCMのようにきれいな画面だけど他のシーンとうまくつながっていない気がする)やオーストラリアでのラストシーン(急に日本と光の質が変わるのに加え、朔太郎と律子の関係がよくわからないというか・・・脚の悪い彼女が後から坂を上るってどうよ?)よりも、高校時代の場面の方が好きなのでちょっと書いてみようと思う。

 校長の葬儀で亜紀(長澤まさみ)が一人前に出て弔辞を読んでいる。他の生徒より大人びていて、手足も長いので画面によく映える。他の生徒たちはそれを見ているのだが、その中に朔太郎(森山未来)もいる。特別な存在と大勢の中の一人。見られるものと見るものとの埋めがたい距離。校庭で彼女が赤いウェアを着て練習している。長い手足と赤い色で、彼女はくすんだ色の校庭の中で明らかに特別な存在で、マスコミまで駆けつけている。それを他のクラスメートとともに屋上から見つめる朔太郎。ここでも葬儀のシーンと同じ構図が繰り返されている。ところが、彼が隠してあったスクーターで下校するところを、亜紀が見つめている。見るものと見られるものの立場が変わって、彼は戸惑うしかない。そんな戸惑いをよそに、彼女は駆け寄ってきてスクーターの後ろにちょんと乗っかってしまう。このときの長澤のちょっとお姉さん的な口調と、戸惑いと照れ隠しが入り混じった森山の態度が場面を瑞々しいものにしている。ここでは彼の運命を変える出来事が起こっている。埋まるはずのないと思っていた距離、交わることなどないと思っていた二人の関係が決定的に変わる運命の瞬間、しかしそれは夕方の自然の光の中でさりげなく起こり、余計な心理の説明もない。

 長澤まさみは前半長い手足を画面いっぱいに伸ばして瑞々しいが、入院してからの後半では尼僧のようにそり上げた頭で前半とは違う穏やかで柔らかい存在感を発揮している。また朔太郎のキャラに関しては、監督がインタビューで原作よりもIQの低いキャラ、要するに考えるよりも先に行動するキャラに変えたと言っているが、それは映画に活発なリズムを与えている。婚姻届を持ってきたり、オーストラリア旅行を決めるところなど、少し照れながらも相手に対して躊躇なくまっすぐアクションを起こすひたむきな主人公を森山未来が熱演している。彼の躍動感がややダレ気味の映画をかなり救っていると思う。2時間を超える映画だが、個人的には二人を中心にコンパクトにまとめてほしかったような気がする。